2016/06/10

自由気ままな旅の醍醐味

ムッシュー酒井の ど〜もど〜も No.39

今思えば旅好きの私にとって、フランスで生活していた頃は天国のように思えたものだ。週休2日、夏休みが1ヶ月、冬は10日間ほどが休みで、休みの前日は仕事を午前中で終え、休み明けの日は午後に仕事につくように調整すると週休が3日ほどになり、祭日分を含めるともう少し休みが増える仕組み。フランス人の仕事仲間は、休日のんびり休みたいと言うが、私は連休を利用して、ベルギー、ドイツ、スイスに出かけ夏、冬のヴァカンスはスペイン、東欧、スイスのスキーの旅に出かける。ベルギーに行くと、ついオランダにも足を伸ばしたくなるし、ウイーンにも行きたくなる。スペインに行けばポルトガルにもちょっと行きたくなるし、ついでにフェリーに乗ってモロッコまで行ってみるか、となる。どの国に行ってもホテルやレストランには不自由しない自由気ままな車の旅を続けたがため、あらかじめ時間を決める汽車の旅やグループ旅行が苦手になり、この歳になっても相変わらず無計画な旅を続けているわけです。昔はヴィザが必要な国が結構あったが、今は格段の自由がある。

知らない国を無計画に旅しても意外と大きな失敗はないもので、言葉の通じない国で遭遇した様々な事件も、今となって思い出せば笑える失敗ばかり。イタリアでは結構詐欺師が多いので騙されないぞと注意していたが、ポンペイに行った時、入り口にトイレがあったので用を足してから遺跡の見物をと思ったら、トイレ番のおばあさんが何やら、中に入るとパンフレットも案内状も置いてないから、ここでパンフレットを買えと言っている。不案内の土地では案内図は不可欠と思って買ったが、後になって分かったことが、このパンフレットは誰にでも無料で配っているガイドブックだった。

ヴェニスは運河の街。ゴンドラで移動できるが、車の進入は禁止。街に入る手前に広大な駐車場がある。車を止め1日街を散策して戻ると何やら様子がおかしい。5〜6人の子供が私の車を見ている様子。よく見ると前輪タイヤのホイールがない。様子を見ていた子供が寄ってきてフランス語で(車がフランスナンバーなので)話しかけてくる。さっき誰か悪い奴が来てホイールを持っていたようだよ、チップをくれれば探してきてあげるからと言う。どうも胡散臭いと思ったがホイールが1つだけないとちょっと格好も悪いので、そうか頼むよと言うと、少し離れた所に停めてある私の車と同じ車のホイールを外して持ってくるではないか。彼らは順繰りにホイールを外し小遣い稼ぎをやっている。

スペインでは巧妙にタイヤの空気を抜かれてパンクしているから修理してやると言われ、ハンガリーではガソリンを抜かれて走れなくなったこともある。当然予備のガソリンなど積んでいない。ペットボトルを片手に右も左も分からない土地でガソリンを求めてのヒッチハイク。

外国で食事をする時、言葉が通じなくメニューが読めなくてもなんとか身振り手振りで理解してもらえるが、ハンガリーでこれをやったら、真っ赤なパプリカ(ものすごく辛い)だけがが山盛り出てきて閉口したことがあったし、モロッコで憧れのクスクスを頼んだら、人参ばかりで全く肉の入ってない1皿。分からないが、どうも人参のクスクスを頼んだらしい?。

中国の内モンゴルでは、土地の有力者が是非お会いしたいとレストランで食事をしている私にホテルからの連絡。やってきた有力者?は席に着くなり料理を注文。特に何を話すわけでもなく日本の様子を聞かれたり、土地のあれこれの説明。通訳から「有力者に何かお土産をあげたら」とのアドヴァイス。何のためにおいで下さったのか全く分からず、完全なタカリで食事代とお土産は私持ち、何の意味もない会見だったが、そんなタカリ行為に3度ばかりあってしまった。アメリカでは右折する時、左からの車が来なければ赤信号でも右折できることを知らずに、信号変わるまで停車していた私の後続の車にえらく怒られ、道に迷ってポリスに危うく連行されそうになったりと小さな失敗は結構あるが、悪いことばかりではない。クロアチアでは日本人が珍しいのか、道を聞いた男の家に招待され歓迎された。お礼に手持ちの小物をお礼にあげたら、家を出ると別の男が家に来てくれとのご招待。ラキア(スモモで作ったブランデー)と自家製のジャムとトルココーヒーの接待。お暇を告げると別の人が家にも来てくれと。結婚式の写真を見せられ、ラキアにジャムにコーヒー。とうとうその村で1泊する羽目に。更なる翌日のご招待を振り切って2日遅れで村を脱出。チェコのピルセン(ビールと機関銃が有名な都市)では寒い冬、見知らぬ日本からよくやって来たとバケツのようなグラスでビールでの歓迎攻め(ここでは冬ビールが半額でバーで飲める)。

思い出は山ほどあるが、また5月にフランス、ドイツの田舎めぐり3000kmを企んでいます。どうなることか…。
 

酒井 一之
酒井 一之

さかい・かずゆき
法政大学在学中に「パレスホテル」入社。1966年渡欧。パリの「ホテル・ムーリス」などを経て、ヨーロッパ最大級の「ホテル・メリディアン・パリ」在勤中には、外国人として異例の副料理長にまで昇りつめ、フランスで勇名を馳せた。80年に帰国後は、渋谷のレストラン「ヴァンセーヌ」から99年には「ビストロ・パラザ」を開店。日本のフランス料理を牽引して大きく飛躍させた。著書多数。


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