2018/1/10

それでも、気ままな旅はやめられない(8)

ムッシュー酒井の ど~もど~も No.48

集中豪雨の中、旅も終盤になって小さな村で突然見舞われた車のエンジントラブル。連絡のついた保険会社が手配してくれたタクシーでレンタカー会社に向かう。もし携帯を持っていなかったら、どうなっていただろうか。辺りはすっかり暗くなり、かなりの豪雨だが土地っ子の運転手、道をよく知っていて安心できる。旅や昨日も故障車の客を乗せてパリまで行ってきた話や、車はフランス車か日本車に限るね、ドイツ車には絶対乗るななんて雑談をしながら、約1時間ほどでオルレアン郊外のレンタカー会社に着いた。営業時間終了だが若い男性が一人待っていて書類にサインをしてくれと契約書を差し出し、今までの車と今回の車の差額料金はカード精算時に調整すると言い、私に車のキーを渡すと他になんの説明もなくそのまま自分の車に乗り帰ってしまった。事務所の前には黒いルノーの小型車。代車の引き渡しを見守っていたタクシーの運転手はムッシューこれで大丈夫だねと言い、トランクにスーツケースなどを移す手伝いをしてくれ、自分が保険会社の請求するメーター料金書にサインを求めると帰っていった。ぽかんとするくらいあっけない車トラブルの幕引き。

さて車に乗り込んでみると小さいし狭い。オルレアン郊外にいるのは分かるが自分が実際どこにいるのか、パリの方向はどちらなのかまったく不明で、おまけに嫌になるくらいの雨。街の方向はすぐに分かったが、マニュアル車でギアの入り方が悪く、後輪がギアチェンジの度に左右に滑る。慎重にいかないと、これ以上のトラブルはもうたくさん。オルレアンの街は美しいが全く景色が見えない。ホテルが見つからない。仕方なしに街を抜けることにし30〜40分ほど走るとうっすらと風車(オランダの風車)が見え、道路の反対側にホテルのネオンが見えた。思わず助かったとつぶやいてしまった。ホテルはモーテルタイプで朝食付き60ユーロ(約7,200円)、レストランはもう閉まっている。道路の反対側の風車はレストランでそこに行くといいと言われ、傘を借り道路を渡って夕食をとることにした。傘をさしてもびしょ濡れになる雨足。たどり着いた店はフランス各地に展開しているステーキハウスチェーン。日本のステーキハウスのようにハンバーグやチキンなどはない、オリーブの木で焼くステーキがメイン。この雨の中、夜の9時を回っているのに結構土地の人で店は賑わっている。席に着きとりあえず今日は寝るだけと、本日のトラブル終了を祝って一人地元ロワールのワインで乾杯。オードブルはたっぷりのサラダに土地の山羊のチーズ・ヴァランセ、肉はシャロレーの骨付きコート・ド・ブフ800グラム(骨付きなので骨と脂身を取ると正味400グラムくらいか)、デザートはリンゴのタルト。残る心配は雨のことだけ、コニャックとコーヒーで締めホテルに戻って眠りについた。

翌朝も雨、急いでもしょうがないので朝食後、荷物を整理し出発することにした。レセプションで道路状態を聞くと今まで通ってきた土地はかなり冠水しているが、この先は大丈夫、しかし50年100年来で最悪の雨になる予想で、パリのセーヌ川の水位が上がって両側の河川道路は水没、ルーブル美術館の地下の芸術品を避難させる用意をしているとのこと。

今回の旅は出発前から何か悪いことを予感させるようなトラブルがあった。パスポート残期限不足、保険問題、レンタカー予約ページ消失にフランスに着いてから車の車種変更と、ガソリンスタンドのストライキ。トラブル続きで最後に車のエンストという最悪の結果。明日の昼過ぎまでにシャルルドゴール飛行場まで辿り着ければなんとかなる。もう本当にこれ以上のトラブルはたくさんだ。パリまでは直線で200キロ弱。小型車だから怖くてスピードも出せない。旅のフィナーレは相変わらずの強い雨、ワイパーを最強に動かしても前方がよく見えない。ノロノロ運転に徹するしかない。

パリ郊外ベルサイユ近くを抜けたのが午後3時過ぎ、この旅で初めて昼食を食べ損なってしまったことに気づいた。この雨の中パリの中心まで行ってもしょうがないと昔住んでいたパリの入り口ポルト・サンクルー広場の近くのホテルに泊まることにした。80ユーロの部屋しか空いてない、しかも3階、だが探す元気もない。部屋に荷物を運び込み外で食事をすることにした。知っている近くのレストランに行ったがオーナーも従業員も代替わり。しかしこの店自慢のカオールのワインは相変わらずうまかった。昼食兼夜食は骨髄(Moelle)とブリオーシュのサラダとうずらの包み焼き、詰め物のカマルグ産のピラフとフォワグラが絶妙な組み合わせ。

翌朝は幸い小降りになっていた。近くのセーヌに行ってみると河川道路は冠水、アヴェニュー・ベルサイユからコンコルド広場に向かうが車もまばら。空港には美味しいレストランがないので、昔のサントノレ市場入り口にある牡蠣専門店で朝食兼昼食。ここのオーナーは昔東京のオー・バカナルの総料理長をしていたなかなかの知日派、話が弾んでボルドーの白アントゥル・ドゥ・メールを2杯もご馳走になってしまった。小雨のパリを少し走り回って今回の旅は終わった。空港のレンタカー会社に鍵と書類を渡してそれで終わり。これもあっけない。

タクシーの走行距離を除くと14日間走った距離は約3,500キロ。若い時の旅のトラブルは結構笑い話になるが、年を重ねるとそうもいかない。昔と違い、なんとかなるさと気楽に構えていることができずに不安感をおぼえる。しかし空港のロビーで搭乗を待つ間、訪れた地方の様子をゆっくり思い出していると、さまざまなトラブルは忘れ、次はどこに行こうかと考えている自分がいた。

酒井 一之
酒井 一之

さかい・かずゆき
法政大学在学中に「パレスホテル」入社。1966年渡欧。パリの「ホテル・ムーリス」などを経て、ヨーロッパ最大級の「ホテル・メリディアン・パリ」在勤中には、外国人として異例の副料理長にまで昇りつめ、フランスで勇名を馳せた。80年に帰国後は、渋谷のレストラン「ヴァンセーヌ」から99年には「ビストロ・パラザ」を開店。日本のフランス料理を牽引して大きく飛躍させた。著書多数。


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