2017/10/10

それでも、気ままな旅はやめられない(7)

ムッシュー酒井の ど~もど~も No.47

旅の予定はまだ3日残っているが、思いがけない車の故障に豪雨のお見舞い。あまりにも強い雨のため、祭りを見に来た人たちが駆け足で散っていく。近くに修理のガレージはないか考えたが、どうやって探す?聞こうにも降りしきる雨の中、人影もない。車に閉じ込められながら、昔旅をしていてフィンランドの荒野でパンクしたり、ハンガリーの山中でガス欠になったり、ノルマンディーでエンジンをかけたら配線がショートしてコードが焼けボンネットから煙が出てきて大慌てしてしまったことなどがフラッシュバックした。あれも確かフォルクス・ワーゲンだったなんて思い出にふけったり、Uターンして祭りなど見に来なければ良かったと反省と後悔をしたり、つまらないことばかり考えていたが何の解決策にもならない。あれこれ考えるうちに、保険会社に電話して救援を頼もうとひらめいた。

車のダッシュボードにレンタカーの契約書と保険会社の書類らしきものを見つけ、携帯で電話を試みた。何回かトライするとパリの保険会社が出てくれたがなかなか話が通じない。なぜなら私の携帯からかけるため、フランスでかけているにも関わらず電話が日本経由になってしまって、相手は私が日本から保険会社に救援を求めていると思っている。相手の電話機表示には+81 9……と表示されているらしい。今あなたはどこにいるのかと聞かれ、「全く分からないんだ、ちょっと待ってくれ、今誰か見つけて聞きますから」と雨の中車外に出て人を探した。ちょうど運良く傘を差し通りかかった夫婦を呼び止め、今車の故障で保険会社に電話をしているのだが、現在自分がいる教会広場の住所を保険会社に教えて欲しいと携帯をさし出した。2~3分のやりとりで保険会社は私の所在場所が分かったようで、代わった電話に2時間以内にレッカー車を寄こすとのこと。これで一安心、夫婦にお礼を述べると「なんの、若い方心配することはないよ」となぐさめてくれる。どう見ても私より若そうなカップルだが自分が若く見られることは悪くはないし、なんとか方向も見えてきた。しかし2時間が過ぎても豪雨は止まない。しばらくすると携帯が鳴った。レッカー車が向かっているが道路が冠水していて回り道をしている、もう1時間ほどで着くとのこと。

きっちり1時間後にレッカー車から再度の連絡、「今どこにいるのか、車は?」との問い合わせ。ソルドルという村の教会の前にいる、黒いVWだと教える。5分ほどで大きなレッカー車がやってきた。車の修理のプロがようやくやって来たと一安心したが、何度試してもエンジンがかからない。時間は午後3時半になろうとしている。夕方になり雨も降っているから、私の車を積んでここから30キロほど離れたガレージに車を運ぶと言う。相手は車のプロ、言うことに従うしかない。

雨の中、結構器用にレッカー車に私の車を積み込む。びしょ濡れになりながら助手席に乗り込みガレージに向かった。この先どうなるか分からないが、なるようになれの心境。1時間ほどで小さな村のガレージに着いた。ルノー専門のガレージのようで周りは工業団地の雰囲気。今日は休みで仕事も終わった、明日にならないと修理にかかれないと言う。それじゃ困る、なんとかならないかと尋ねるが、肩をすくめるだけ。仕方がない、再度携帯を取り出しレンタカー会社(ヨーロップカー)に連絡し、今までの経過を説明して代車を用意して欲しいと要求した。相手の返事はもう夕方で近くに代車はないので、折り返し電話をするとのこと。ここで再度こちらの携帯電話が日本発になっているので、保険会社と同じ質問。ようやく時間がかかるが代車を当たってみるとの返事を引き出した。

30分後レンタカー会社から連絡があった。そちらにタクシーを行かせ、費用は持つからパリまで乗っていかないかとの提案。聞くところによると50年か100年ぶりの豪雨だという。ありがたいがまだ250キロほど距離があるし、このままパリに行くにもホテルも決めてないし、パリに3日間はいたくない、とあくまでも代車を要求した。再度電話があり今タクシーを送った、オルレアン市の郊外に代車を用意したとの連絡。しかし小型でマニュアル車だという。仕方ない。

そうこうするうち、10分も待たずにタクシーがやって来た。すでにレンタカー会社から連絡されているのだろう、初老の運転手が私の荷物をトランクに積み込み、私が助手席に乗り込むと走り出した。オルレアンまでどのくらいかと聞くと1時間半くらいだとのこと。メーターを見ると料金がどんどん上がっていく。運転手はそれを察し、「ムッシュー、料金は保険会社からの支払いだから心配いらない、なんならパリまで行くかい、俺はその方がありがたいがね」との提案は遠慮した。まだ3日残っているヴァカンス、雨のパリは魅力ない。話好きの運転手はいろいろ話しかけてくる。かなりの大雨で見通しは悪いが、大きな畑、森を抜けていく。道路冠水のためオルレアンまで約50キロだが、快適なドライブ。先ほどまでの不安が嘘のよう。

酒井 一之
酒井 一之

さかい・かずゆき
法政大学在学中に「パレスホテル」入社。1966年渡欧。パリの「ホテル・ムーリス」などを経て、ヨーロッパ最大級の「ホテル・メリディアン・パリ」在勤中には、外国人として異例の副料理長にまで昇りつめ、フランスで勇名を馳せた。80年に帰国後は、渋谷のレストラン「ヴァンセーヌ」から99年には「ビストロ・パラザ」を開店。日本のフランス料理を牽引して大きく飛躍させた。著書多数。


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