2020/6/10

フランス初の相棒と2人旅

ムッシュー酒井の ど~もど~も No.63

車のタイヤがパンク、近くに代理店がないので、代車を求めてタクシーで約170キロ離れた町のレンタカーオフィス(AVIS)に向かうことにした。AVISはロワール河中流トゥール近くにあるため、まるで双六の振り出しに戻るような羽目になってしまった。まあ予定を定めていない旅なので時間の心配はないし、タクシーで周囲の景色を見ながらの旅も悪くない。しかしこの旅の2年前もエンジントラブルでタクシーにお世話になったので、2度目のタクシー旅になる。車のトラブルに巻き込まれるのは面倒くさいし時間がもったいない。保険会社が手配したタクシーなので運転手は行き先を把握しているが、私にとっては全く知らない土地で地図はスーツケースの中。過ぎ去る道路標識を必死で見ないと、どこに向かっているのか分からなくなる。2時間あまりで目的地についた。TGV(フランス新幹線)の駅はあるが民家はなく、散在する工場だけの小さな町。ようやく見つけたレンタカーオフィスでは、本社からの連絡は受けていないし代車はないとの答え。あまりの愛想のなさに運転手がタクシー会社のオーナーに電話をして保険会社、レンタカー本社の電話番号を聞き出し、怒鳴りながら交渉してくれたおかげでなんとか代車ゲット。

昨晩のホテルのマダムや今日の運転手も親切このうえない。帰国してから、保険会社と掛け合ってくれたマダムが欲しがっていた柚子製品や日本のスパイスをお礼に送ったら「私がもし日本で困ったら多分日本人は私と同じように旅人を助けてくれるでしょう。当たり前のことをしただけです。大体フランスの車はトラブルが多いから次回は列車か日本の車で来るように。アビアント(また近々お会いしましょう)」と返事が返ってきた。

旅もそろそろ終わり、余裕をもってロワールの城めぐりをしながらパリに向かうことにした。地方で食事をするとブランケット、エストファ、コルドンブルー、テット・ド・フロマージュ、クネルなど、日本では消えてしまった昔懐かしい骨格のしっかりした地方料理に出会う。その地方のワインとともにいまだ健在。

ここまでホテル、レストランは予約なしの行き当たりばったりで無事過ごしてきたが、広いパリではいくらシーズンオフだからといって予約なしではちょっと難しいので、日本のホテル予約サイトで探すことにした。パソコンかスマホの予約サイトは正規料金よりかなり安く、確実にホテルが見つかる。幸い凱旋門近くのホテルを見つけることができた。1986年ごろ初めてパリで住んだアパルトマンと同じ通りであるし、土地勘もあるのでと思ったのだ。

冬のパリは陽が落ちるのが早く、5時ごろにはもう暗くなっている。勝手知ったるパリだと思ったのが間違い、路上駐車天国のパリは夕方になると路上駐車の車は翌朝までそのままで、駐車スペースを見つけるのが難しくなる。ホテルの周囲をぐるぐる回ったが、なかなか駐車できず道に迷いそうになる。仕方なくホテルで荷物をおろし、500メートルほど離れたワグラム広場(凱旋門からも300メートルほど)の地下駐車場にとめざるを得なかった。

パリでは3日間の予定を取った。3日後の夜遅くの帰国便なので時間は十分あるし、車でパリを回って空港でレンタカーを返せば終了という甘い計算である。とりあえず車は駐車場に入れられたので、食事に出かけることにした。初日は打ち上げの前夜祭と洒落て豪華にクラブ・リドで食事をしようと予約を入れたら、シーズンオフだからだろうか簡単に予約が取れたので早い時間のディナーショーを決めた。

シャンゼリゼのリドはホテルから700~800メートル、タクシーやメトロに乗る距離でもないと歩いて行くことにしたが、冬とはいえあまりにも歩行者が少ない。不思議に思ったが、凱旋門、シャンゼリゼ通りに出てようやくその理由が分かった。明日は土曜日、ジレ・ジョンヌ(毎土曜に行われる黄色いベスト運動デモ)阻止のため凱旋門はすでに装甲車、機動隊でガッチリと固められ、シャンゼリゼ通りも鉄柵で立ち入りができない状態になっている。マクロン政権に反対するデモ騒動はフランス全土に広がっており毎土曜日に行われることは頭に入れておいたのだが、すでに長く続いているデモは暴徒化し、あちこちに傷跡が残っている。

フランスを代表する高級品を扱うブティックのウインドーはあちこちで叩き割られベニヤ板で応急処置。有名なカフェやドラッグストアは焼き討ちにあったかのような状態。ニースではデモで散々な目にあったのでパリの土曜日は避けようと思っていたのだが、パンク事件でパリに早く入りすぎた…と後悔先に立たずだが、今夜はこれまでの地方料理から離れてパリを楽しもうと食事をしながらショーを見て、それからのことは明日考えようと連れと話し合い、フランス到着初日に訪れたシャンパーニュで飲んだものと同じシャンパンで乾杯をした。

華やかなリドのショーはまさに花の都、光の都パリを代表するスペクタクル。華やかな羽飾り、スパンコールをまとった身長175センチ以上と厳選されたブルーベルガールズ、アーティストによる息をのむほど見事なショーの連続でさすが世界一といわれる構成だが、外は寒風吹き曝し、機関銃を抱えた機動隊、兵隊が厳重警戒の真っ只中。なんという現実だろうかと考えさせられた。

翌日からのパリ散策はデモ警戒のおかげで車の移動が不自由なのでパーキングに入れたままメトロでの移動だが、規制のためすべての駅が開いているわけではない。重要広場、政府関連施設の駅は通過し、改札はクローズの状態。シャンゼリゼからコンコルド広場にいたる道路は封鎖、ルーブル美術館の横リヴォリ通りも封鎖で、人っ子一人歩いていない。エリゼ宮殿(大統領府)周辺の道路には警察官が立って厳重警戒の立ち入り禁止処置。初めてのパリ訪問の連れの期待は膨らむばかりだが、さて3日間どうやって過ごそうか思案のしどころ。
 

酒井 一之
酒井 一之

さかい・かずゆき
法政大学在学中に「パレスホテル」入社。1966年渡欧。パリの「ホテル・ムーリス」などを経て、ヨーロッパ最大級の「ホテル・メリディアン・パリ」在勤中には、外国人として異例の副料理長にまで昇りつめ、フランスで勇名を馳せた。80年に帰国後は、渋谷のレストラン「ヴァンセーヌ」から99年には「ビストロ・パラザ」を開店。日本のフランス料理を牽引して大きく飛躍させた。著書多数。


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