2017/11/10

第一ホテル東京

来年創業80年を迎える第一ホテル東京は、都内有数の老舗ホテルだ。
1962年、2年後の東京オリンピックを見据えてブッフェ料理レストラン「世界バイキング オリンピア」をオープン。和食や中華など、多国籍の料理を盛り込んだ日本初のバイキングである。そのエッセンスは「世界バイキング エトワール」と名を変えて、今に受け継がれている。
飯村浩総料理長は現在、都内4ホテルを統括する。受け継ぐものと、改革するものと。時代を見つめながら、料理や人の導き方に向き合う。

総料理長 飯村 浩
総料理長 飯村 浩

首都圏事業本部 総料理長
飯村 浩

東京都出身。1981年、高校を卒業し日比谷松本楼に入社。1985年より渋谷のフランス料理レストラン「ヴァンセーヌ」へ。1988年新橋第一ホテル入社。マリアナ諸島の第一ホテルサイパンビーチ、第一ホテル大分オアシスタワーへの出向、第一ホテル東京シーフォート調理長などを経て、2012年第一ホテル東京の調理長へ。2015年より首都圏事業本部の総料理長に就任。都内4ホテルの料飲部門を統括する。

世界バイキング始まりの地として

「各国の料理を取り入れたバイキングを始めたことで、伝統的なフランス料理を原点としながらも、みんながオールマイティに勉強してこれたのだと思います」。
首都圏事業本部で総料理長を務める飯村浩シェフは言う。レストランではメインダイニングのフレンチ「アンシャンテ」、洋食「ラウンジ21」、鉄板焼き「一徹」、日本料理「明石」、鮨「一寿し」まで直営。またグループホテルの一つ、大阪の新阪急ホテルでは当時と同じ名前で、グルメバイキング「オリンピア」、中国料理「グランド白楽天」を展開する。ホテルの料理は基本的にフランス料理だが、輪を広げたことが特徴となった。「地方に出向した際には、和食を入れて欲しい、イタリアンを入れて欲しいというようなオーナーからのリクエストが多かったのですが、スムーズに対応できました」。
宴会料理にも受け継がれるものがある。「オードブルには今でもスモーガスボードを採用しています」。一方で、「テリーヌやパテなどの需要が少なくなっている。冷たいものより温かいものが好まれる傾向にあります」と、少しの懸念ものぞかせる。時代の流れを考慮しながら、技を継承していくべき料理と軽さのある料理とのバランスが必要だと感じている。

世界バイキング「エトワール」
世界バイキング「エトワール」

オリンピックについては「通過点に過ぎない」としながらも、いつ話しがきてもいいように人材育成に力を入れる。「前回の東京オリンピックでは選手村の男子食堂『桜(Sakura)』に当時の総料理長が選出され、ホテルスタッフも運営で参加した経緯があります。年月が経っても、自分たちもサポートしたいという気持ちは変わりません」。人員が外に出ても本体がぶれないように体制を整える。招致が決まった時点でスタッフに伝えた。「2020年には5年以上の経験を積んでおけるように、2年半前から新入生を含めて取り組みを始めました」。

世界バイキング「エトワール」
世界バイキング「エトワール」

料理人は必ず料理に戻る

都内の4ホテルを見るようになって2年、第一ホテル東京の調理長を兼任していた時期は、体調を崩したこともあった。「大変ですが、今は心地良い大変さです。技量バランスを見ながら組織を組み立て、それが上手くはまったときは嬉しい」。

フレンチ「アンシャンテ」
フレンチ「アンシャンテ」

料理を始めて35年以上が過ぎた。きっかけは、小学3年生の家庭科の授業で先生から、自分のサラダが一番美味しいと言われたこと。その嬉しさが忘れられず、高校を卒業したらとにかくすぐに働きたいと思ったのだと言う。「必ずどこかで壁にぶつかるもの。私自身も3年間コックコートを脱いだ時期がありました。しかし、戻りたくてしょうがなかった」。辞めていくスタッフもいるが、「一定のレベルにまだまだ到達していないと思うスタッフは辞めさせないのですが、そうでない場合は他で勝負してみることもありだと話します」。挫折を経験し、次で伸びることを期待しているからだ。「調理を志した者なら、必ず戻ってくる」と語る。「ようやくここにきて、思い通りに料理ができるようになったと感じています。こうすればこうなると逆算できるようになった。監督する立場でもありますが、現場に立っていたい」。料理への意欲は尽きない。

フレンチ「アンシャンテ」
フレンチ「アンシャンテ」

第一ホテル東京
東京都港区新橋1-2-6
TEL:03-3501-4411
URL:www.hankyu-hotel.com/hotel/dhtokyo/


ホームへ先頭へ前へ戻る